
小田急江ノ島線
東林間

周辺の歴史と地理
1:小田急江ノ島線 東林間駅
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1929年(昭和4年) 東林間都市駅として開業。
1941年(昭和16年) 東林間駅に改称。
1982年(昭和57年) 橋上駅舎と東西自由通路が完成し、供用開始。
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現在に至る
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当初は「中和田駅」となる予定であったが、林間都市計画区域の東林間都市駅として開業した。
1941年(昭和16年)に中央林間都市駅・南林間都市駅とともに駅名から「都市」が外され、東林間駅と改称した。なお、林間3駅中、当駅は最も北西に位置する。
Wikipedia: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%9E%97%E9%96%93%E9%A7%85



2:行政施設
相模原市(緑区・中央区・南区の3区制)の行政の中心である相模原市役所は中央区中央に位置し、JR横浜線相模原駅より徒歩15分である。
東林間・上鶴間・相南・相模大野は、相模原市南区に属し南区役所は相模大野駅より西へ600mにある。
住民票などの発行は、相模原市役所南区役所東林まちづくりセンター(相南1丁目・旧東林出張所・東林間駅より徒歩8分)にて受け付けている。
相模原市役所HP:http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/index.html
南区役所HP:http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/minamiku/torin/index.html
相模原市は1954年(昭和29年)11月20日より市政が施政され、2010年4月1日を以て政令指定都市に昇格した。全国で19番目の政令指定都市である。
Wikipedia: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E5%8E%9F%E5%B8%82
3:地質と地形から見た東林間
相模原台地(相模野台地とも呼ばれる)は相模川が作った扇状地が隆起して形成された洪積台地である。西側の相模川に沿って、気候変動や海水面の変化によって形成された河岸段丘が発達している。
段丘面は大きく3段に分けられるが、上段(相模原面)が最も広く、山間地域以外の半分以上を占め、旧城山町東部の大半もこの段丘面上に広がる。相模原面は緑区川尻(旧城山町)の川尻八幡宮付近の標高約180mを最高点に南東へ向かって徐々に高度を下げ、緑区橋本六丁目の神明大神宮付近で約140m、南区東大沼二丁目の大沼神社付近で約100m、南区相南三丁目の東海大学付属相模高等学校付近で約85mとなり、南の大和市や座間市に続く。段丘面上は平坦ではあるが水に乏しく、利用が進まずに原野が広がっていた。相模原または相模野とは、主にこの原野について呼んだものである。
・地震、水害など自然災害に対する相模原台地の特徴
○ 地震
地震動が増幅せず、沖積低地と比較すると揺れが小さい。
相模原の開発は関東大震災以降に活発となり、大震災当時は人口も少なく被害の記録が少なく詳細は不明である。
後述の土砂災害が段丘面で起こり家屋の倒壊等の記録は有るが死亡者は無かった。
○水害
ほとんどは水はけが良く浸水しにくい土地であるが、近年の宅地化によりコンクリートやアスファルトなどの被覆が多くなり、大雨時には、小河川や谷地形の箇所で水が溜まりやすい。
(日本土地周辺では東林間5丁目付近が低地となっており、市街化された後に大雨による床下浸水があったと話継がれているが下水施設の完備により近年の集中豪雨でも浸水の起こる状況にはなっていない 。)
○ 土砂災害
段丘崖では、大雨時や地震時にローム層・礫層が崩壊しやすい。
(日本土地周辺では上鶴間の深掘川両岸に急傾斜面が見られるが災害の記録はない。)
・東林間駅(日本土地)を中心とした地形状況
東林間駅から北~北西方向は非常に緩い傾斜で橋本の先まで平坦面が続いている。傾斜の角度は目測では見分けられないほど緩く市役所までの自転車移動も可能。往路より復路の方が時間がかからないことから傾斜していることが判る。
この東林間~大野~橋本を結ぶ線が序文相模原台地上段面のほぼ中央線となっており、これを横切る河川、水路は無い。東林間は上段面の南東端に位置しており、東は上鶴間、西は小田急相模原、南は中央林間付近から谷戸(雨水等による浸食谷地形)が始まり河川が見られるようになる。